本質を捉える重要性

「良いもの」ってなんでしょうねというお話。
まずは以下、「寿司魂」(原作:九十九森 氏 劇画:さとう輝 氏)の2ページ分をご覧ください。


要するに、店側のグルの人が客を連れて行くと、店側は通常の値段より高く請求し、グルにも少しキックバックをする仕組み。
高級飲食店で実施されている構図。(お水の同伴とかも含む。)

高級飲食店だし、「良いものをこだわって高く出している」と言えば価格にそれっぽさを与えることができるし、
客層も金額をそこまで気にしない人たちなのでまかり通る世界。

でも、このお客さんたちは「良いところでおいしいものを食べたー」と思うわけです。
これって、どう思います?全く本質的じゃないですよね。

わかってないけど「高級とされているもの」をありがたがる愚行

ブランドというものは本来、「良いもの作ってるからブランドになる」わけで、「ブランドだから高い」わけではありません。
このあたりを勘違いしている人が多いし、インスタ筆頭にSNSでの映え文化により、勘違いを堂々と晒しちゃってる痛いキラキラアカウントな人が増えてしまっているのが悲しいですね。

ブランドになった後も、消費者、愛好者としてしっかりとした目を持つ必要があります。
「良いものを作り続けてるから、高くても買う」人は良いんだけど、一部は「ブランドだから良いと思って買う」わけで、後者は(仮に金持ってたとしても)悲しい人形。

高級寿司とかどうですかね。
普通に資力あるチェーンの方が良いもの仕入れたりします。ある価格以上はほぼ雰囲気代で、じゃあ雰囲気良いかというと、いわゆるカウンターの寿司屋って、文字通り寿司詰めで隣と近すぎて個人的には劣悪な飲食環境だと思うのですが、いかがでしょうか。
ゆったりしたテーブルで、しっかり良いもの仕入れて、しっかり仕込んで提供しているリーズナブルなお店、たくさんありますよ。
そのあたりをちゃんと理解して、本質的な味と価格のバランスを理解して行動したいものです。

例えば、サイゼのエスカルゴはその他日本の高級フレンチより良いものを仕入れていたりします。
初競りで最も良いマグロを落札するのは「すしざんまい」です。「次郎」でも「久兵衛」でも「さいとう」でも「さわ田」でも「あらい」でも「あおき」でもありません。

闇クマはコスパだ原価だと言っているわけではありません。
一部の「グルメさん」って、わからない舌だから割高にお支払いして「おいしいとされるもの(自分では違いがわからない。もしくはわかった気になっている。)」を食べてる感じで、本質から離れてるんです。

「わかってない人」が払いすぎてしまう世の中。飲食店だけの話ではありません。
時計、車、なんでもそうです。不動産だって同じ。
利回りで変に化粧された物件、土地の価値が無い故の「土地値以下物件」(ここでいう土地値ってなんなんでしょうね笑)、住む人を想定し辛い女性専用シェアハウス笑
全て本質を捉える姿勢で臨めば手が出るものではありません。
本質を理解し、探る姿勢を持ち続け、「頭の悪い人形」にならないよう、努力しましょう。

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